この道を目指した経緯

01.

初めての腰痛

中学時代に遡ります。
卓球部に所属して毎日卓球に
明け暮れていいました。
中学2年の時、スマッシュを打った瞬間
左腰に違和感を覚え、
体がくの字への字に曲がり、
即座に監督に報告すると
「スランプだ ! 」
「これを乗り越えれば上達する!」
???こんなに体が曲がって痛いのに…。

家に帰り父親に
「腰が痛いから病院に行きたい」
と告げると、
「子供が仕事もしないで
腰痛になるわけがない !」
「 気合が足らないからだ !」
「 一晩寝れば治る !」
と言われて病院にも行かず1週間、
体が曲がっていました。
30年以上も前のことですが、
腑に落ちないそんな時代を過ごしました。



高校卒業後、婦人服販売会社に入社。
4年後に退社して稼業見習いをすることに…
この時世の中はバブル全盛期で、
ゴルフを盛んに行っていたため、
27歳の時また左腰を痛め初めて
整体に行くことになりました。
この時、
「こんな整体なら誰でもできるじゃない!」
と思ったのが
初めて通った整体の印象でした。

02.

生涯忘れることのない出来事

平成7年1月17日
阪神淡路大震災で
大変な状況の夕方、
風邪気味の3歳の娘に
病院で処方されていた
解熱用座薬 ( ボルタレン )
を使用後低体温となり、
翌1月18日に娘を亡くしました。
世間一般では知られてはいませんが、
この年はこのボルタレンで
幼児が亡くなるケースが多く、
半年後には幼児インフルエンザ時の
使用が禁止され、
インフルエンザ時に死亡すると
「インフルエンザ脳症」
と言う病名が付けられました。
「むやみに解熱用座薬を
使用しないでいただきたい。
乳幼児には薬はリスクが高いから…」
この時はいろんなことを
考えさせられましたね。

03.

骨盤調整との出会い

抜け殻の様な日々を過ごしながらも仕事を続け、
また左腰痛が再発と同時に
右坐骨神経痛で足の先まで痛み痺れがでて、
両足が冷え、下痢、不眠、空咳、
ドライアイ、チック、両腕の怠さ、
右小指のしびれと
仕事がしにくくなっていました。

高校時代の同級生が経営する
接骨院に通いながら、
以前から興味があった整体を勉強したくて、
中部療術医学院に入学。
しかし残念ながら翌年院長死去
により廃校となりました。

知り合いの薦めで、
五味式骨盤調整を受けるため上京。
その日は衝撃的な出会いがありました。
治療帰りの新幹線の中では、
雪が降っているのも関わらず
足が熱くてたまらない。
靴を脱いでも足が熱く、
靴下を脱ぎ裸足で全席の椅子の下の
金属部分で足裏を冷やして帰りました。
帰宅後も体や足が熱く、
布団に入ったら直ぐ朝を迎え、
久しぶりの熟睡と同時に
朝の排尿が大量且つ茶色でした。

全身に血液が巡り、
体中の毒素が一気にでたために、
その日は全く疲れなかったのを
昨日のことの様に覚えています。
「万病一元、血液循環障害」
を肌で感じた時でした。

この日以来、
五味式骨盤調整の魅力に取りつかれ、
必死で技術習得に努め、
仕事を辞めると同時に平成9年10月
柳津骨盤調整院を開業しました。

04.

鍼灸との出会い

施術経験を積んでいくと、
解決しにくい患者さんが
来院されることが増え、
しっかり基礎から勉強がしたいという
思いが強くなっていました。

「鍼は即効性がある !」と耳にしていて、
宮廷チャングムの影響もあり、
お尻の違和感やドライアイに鍼灸を試してみると
あまりの即効性に驚きました。
鍼灸も恐怖感はあるが、人助けになる !
と心機一転、遅咲きながら40才を過ぎて
鍼灸の世界に飛び込むことにしました。

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